=正念場=
2005年7月28日八王子にて2回目の話し合い。
もち息子の居る前で。
私が情緒不安定だったため前日、延期の電話をいれたが
元夫は「とりあえず飯でも食べにくればいいよ、落ち着くだろう。気分が悪ければ次でもいいんだから。オレからは話しないからさ」
「そうだね、少し話から離れないと頭一杯なんだわ、イロイロ」>私
台風が来ていた。このままだと関東直撃。
私の住んでいるとこに上陸は夜の9時だと。
思ったより仕事が忙しく残業になってしまい、予定より遅れて出発した。
雨が風が段々つよくなっていく。
台風に追いかけられる様に車を走らせる。
また時間を決めて、今度は元夫の自宅より100Mくらい離れた人家の裏手で下ろしてもらう。
アパートに着くと足がビショ濡れ。
持ってきたタオルでそれを拭きながら上がりこむ。
元夫は居眠りしていたらしく、寝ぼけ眼だった。
「どうなの?調子は?平気?」>元夫
「うん、なんとかね。大丈夫だから話するから」>私
結局、「今回は自分の話は何もしないからオマエの言い分だけ聞く」と言っていた元夫は、自分の思いだけ喋って終わった。
今度いく新しい職場にいけば支度金として30万だか40万だか出るらしい。
それを溜まったアパート代にするのが常識だけど、自分の心理として訴訟を起こすほうに廻すというのだ。
これは私とRIOが和解に応じなかった場合。
チャチな文章の書類を私に見せたが、笑ってしまうくらい一方的で自分本位なものだった。
簡単に言えば「自分は何も悪いことしていないのに、こんな酷いことをされています」みたいな内容。
元夫の条件は、この和解に応じるか、裁判で争うかなのだ。
もちろん裁判になれば、この訴状通りにはいかない。
そのかわり、お互いにリスクを伴うのだ。
私も4回、弁護士に相談に行っているが、争えば5分5分だそうで。。。
私は争いごとは好まないが自分から訴えを起こすことも、もちろん視野に入れてきた。
本当の元夫の望みは和解だろう。
もし裁判すれば家賃が払えない→追い出される→自分は寮へ。息子は施設行き
裁判を起こしても私達が名乗り出れば、益々弁護士費用がかかるのだ。
一方、和解の具体的な条件というと
私とRIOは元夫に対して慰謝料を払う。
一括とは言わないし、金額も話に応じる。
そのかわり公証役場でRIOの身内、もしくは友人を連帯保証人にすること。私の慰謝料に関して一応請求とするが何も保障はいらないし、公証役場へいく必要もないと言う。
そうすれば離婚した後も息子への関与を全面的に認めると>これは私の条件だ。慰謝料も出来る範囲で払います。養育費だと思って・・・
それだけだ。
さて困ったのはRIOだ。
私とRIOに対して元夫から見れば別問題。
責任を問われるのはRIO。
私とRIOが夫婦になろうが、別れようが一生付きまとう。
元夫が言った「連帯保証人」これにRIOが一番悩むというのが解かっていたから、なかなか話できなくて。
彼は身内を捨ててきている。
元夫は以前、不動産屋を脅かして住宅の保証人になってくれた友人まで探して尋ねている。
もちろん、RIOの実家へも恐喝まがいの電話をしている。
RIOにしたら自分の身内にこれ以上、迷惑をかけたくない、、それが本音だろう。
でも私はなんだ?
RIOと一緒になるために親戚という親戚、友人やご近所さんまで捨ててきた。
私が頭を下げて伯父に頼んだから、借金してまでポンと50万何も言わずにくれたんだ。貸したんじゃなく、くれたんだ。
これが無かったら今の私達はないのだ。住むところも無かった。
そんな思いがあったから、あえてRIOが苦しむのを黙って見ていようと思った。
この男は何処まで自分の力で何かできるのか?
ファミレスで楽しく食事をして、台風怖いからココいらで泊まって明日は遊ぼうという計画だった。
でも、この話をした途端にRIOの顔は曇り落ち込んだ自分を演出。
私は「RIOの問題」として入れ知恵せずも優しい言葉もかけなかった。
急に「家に帰る」と言い出したRIOを引き止めて「今帰っても何時よ?身体シンドイから泊まっていこう。ね?」
私が思った通りの展開だった。
それでも口数が減ったRIOを引きずって相模湖を目指す。
3年前、RIOと言った不思議なホテルを探して。
たった1回しか行ってないのだ。
2人の記憶の糸。。。
当時、RIOが運転してて。台風に追われていて。豪雨と強風。
橋のタモトを入っていった。花が沢山さいていて裏手には道志川。
それしかなかった・・・
もちろんホテルの名前なんて覚えているはずもない。
でもズバラシイことに2軒目で当たりっ!!ぶらぼー!!
あの当時と変わらずノンビリしたやる気のないホテル。
一応、ラブホテルなのだけど看板だけがラブホなのだ。
駐車場はオープン。隣りには軽トラが止まっている。
まるでペンションみたいに入っていくお客。
楽しそうに階段を上がるカップルをみて当時驚いた記憶がある。
お土産に「これ持っていって〜」と女性が鉢植えをくれた。
それもまた、可笑しいではないか。
同じ部屋には泊まれなかったが懐かしいこと。
何もお泊りの支度をしていなかったのに
このホテルには化粧水も置いていないのだ。
この夜は、恥かしいくらい抱き合った。
私は女の打算でRIOと別居して「あと3年息子と暮らす」シュミレーションもしていた。
しかし、現実的に私は山奥には住めない、職場を変わることが不可能だ。
元夫は「コンビニでも勤めればオレが援助するよ〜離婚して母子家庭手当てもらえばやっていけるって」
アンタの話なんか信用するもんか!
給料明細まで偽造する男だ。
2年近く騙されてあげたんだ。
続く・・・・・・・・・・・・
もち息子の居る前で。
私が情緒不安定だったため前日、延期の電話をいれたが
元夫は「とりあえず飯でも食べにくればいいよ、落ち着くだろう。気分が悪ければ次でもいいんだから。オレからは話しないからさ」
「そうだね、少し話から離れないと頭一杯なんだわ、イロイロ」>私
台風が来ていた。このままだと関東直撃。
私の住んでいるとこに上陸は夜の9時だと。
思ったより仕事が忙しく残業になってしまい、予定より遅れて出発した。
雨が風が段々つよくなっていく。
台風に追いかけられる様に車を走らせる。
また時間を決めて、今度は元夫の自宅より100Mくらい離れた人家の裏手で下ろしてもらう。
アパートに着くと足がビショ濡れ。
持ってきたタオルでそれを拭きながら上がりこむ。
元夫は居眠りしていたらしく、寝ぼけ眼だった。
「どうなの?調子は?平気?」>元夫
「うん、なんとかね。大丈夫だから話するから」>私
結局、「今回は自分の話は何もしないからオマエの言い分だけ聞く」と言っていた元夫は、自分の思いだけ喋って終わった。
今度いく新しい職場にいけば支度金として30万だか40万だか出るらしい。
それを溜まったアパート代にするのが常識だけど、自分の心理として訴訟を起こすほうに廻すというのだ。
これは私とRIOが和解に応じなかった場合。
チャチな文章の書類を私に見せたが、笑ってしまうくらい一方的で自分本位なものだった。
簡単に言えば「自分は何も悪いことしていないのに、こんな酷いことをされています」みたいな内容。
元夫の条件は、この和解に応じるか、裁判で争うかなのだ。
もちろん裁判になれば、この訴状通りにはいかない。
そのかわり、お互いにリスクを伴うのだ。
私も4回、弁護士に相談に行っているが、争えば5分5分だそうで。。。
私は争いごとは好まないが自分から訴えを起こすことも、もちろん視野に入れてきた。
本当の元夫の望みは和解だろう。
もし裁判すれば家賃が払えない→追い出される→自分は寮へ。息子は施設行き
裁判を起こしても私達が名乗り出れば、益々弁護士費用がかかるのだ。
一方、和解の具体的な条件というと
私とRIOは元夫に対して慰謝料を払う。
一括とは言わないし、金額も話に応じる。
そのかわり公証役場でRIOの身内、もしくは友人を連帯保証人にすること。私の慰謝料に関して一応請求とするが何も保障はいらないし、公証役場へいく必要もないと言う。
そうすれば離婚した後も息子への関与を全面的に認めると>これは私の条件だ。慰謝料も出来る範囲で払います。養育費だと思って・・・
それだけだ。
さて困ったのはRIOだ。
私とRIOに対して元夫から見れば別問題。
責任を問われるのはRIO。
私とRIOが夫婦になろうが、別れようが一生付きまとう。
元夫が言った「連帯保証人」これにRIOが一番悩むというのが解かっていたから、なかなか話できなくて。
彼は身内を捨ててきている。
元夫は以前、不動産屋を脅かして住宅の保証人になってくれた友人まで探して尋ねている。
もちろん、RIOの実家へも恐喝まがいの電話をしている。
RIOにしたら自分の身内にこれ以上、迷惑をかけたくない、、それが本音だろう。
でも私はなんだ?
RIOと一緒になるために親戚という親戚、友人やご近所さんまで捨ててきた。
私が頭を下げて伯父に頼んだから、借金してまでポンと50万何も言わずにくれたんだ。貸したんじゃなく、くれたんだ。
これが無かったら今の私達はないのだ。住むところも無かった。
そんな思いがあったから、あえてRIOが苦しむのを黙って見ていようと思った。
この男は何処まで自分の力で何かできるのか?
ファミレスで楽しく食事をして、台風怖いからココいらで泊まって明日は遊ぼうという計画だった。
でも、この話をした途端にRIOの顔は曇り落ち込んだ自分を演出。
私は「RIOの問題」として入れ知恵せずも優しい言葉もかけなかった。
急に「家に帰る」と言い出したRIOを引き止めて「今帰っても何時よ?身体シンドイから泊まっていこう。ね?」
私が思った通りの展開だった。
それでも口数が減ったRIOを引きずって相模湖を目指す。
3年前、RIOと言った不思議なホテルを探して。
たった1回しか行ってないのだ。
2人の記憶の糸。。。
当時、RIOが運転してて。台風に追われていて。豪雨と強風。
橋のタモトを入っていった。花が沢山さいていて裏手には道志川。
それしかなかった・・・
もちろんホテルの名前なんて覚えているはずもない。
でもズバラシイことに2軒目で当たりっ!!ぶらぼー!!
あの当時と変わらずノンビリしたやる気のないホテル。
一応、ラブホテルなのだけど看板だけがラブホなのだ。
駐車場はオープン。隣りには軽トラが止まっている。
まるでペンションみたいに入っていくお客。
楽しそうに階段を上がるカップルをみて当時驚いた記憶がある。
お土産に「これ持っていって〜」と女性が鉢植えをくれた。
それもまた、可笑しいではないか。
同じ部屋には泊まれなかったが懐かしいこと。
何もお泊りの支度をしていなかったのに
このホテルには化粧水も置いていないのだ。
この夜は、恥かしいくらい抱き合った。
私は女の打算でRIOと別居して「あと3年息子と暮らす」シュミレーションもしていた。
しかし、現実的に私は山奥には住めない、職場を変わることが不可能だ。
元夫は「コンビニでも勤めればオレが援助するよ〜離婚して母子家庭手当てもらえばやっていけるって」
アンタの話なんか信用するもんか!
給料明細まで偽造する男だ。
2年近く騙されてあげたんだ。
続く・・・・・・・・・・・・
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